成年後見に関わっている同業者などを中心に、先週の最高裁判決が話題になっていました。認知症の男性が徘徊中に列車事故で亡くなり、介護をしていた高齢の妻(と息子)に対してJR東海が賠償請求していた事件です。
判決の細かい部分にも論点があるようですが、そのへんはわかりやすい解説が出てくるのを待つことにして、政治的というか社会的というか、別の角度から見てなんとなく気になったことを書いてみます。
当時85歳だった妻が片時も目を離さず認知症の夫を世話するのは不可能でしょうから、これで責任を取らされるのは、かなり酷な印象を受けます。高裁判決が出たころに、そういった論調で書かれた新聞記事なども目にしました。
そうなってくると、訴えているJR東海が非情な企業ということになりそうですが、これには裏があるのではないかと考えています。
おそらく、JR東海は、720万円という賠償金が欲しかったわけではないでしょう。かりに賠償金を得られたとしても、それで損なわれる企業イメージを換算した額のほうが、はるかに大きいはずです。
それでも最高裁まで引っ張ったのは、「老老介護の場合にまで厳しい監督責任を求めるのは無理」という判例を作っておきたい人たちの思惑がからんでいたのではないでしょうか。
まあ、映画好きな私の想像でしかないのですけれど、案外そんなものではないかとも思う今日この頃です。
老老介護での監督責任が問われた最高裁判決に思う

コメントを残す