亘理町滞在記02

5時に起き、いろいろと準備をして8時ごろにボラセンへ。夕べお世話になったMさんは休日だったので、自力で仕事を探すことになりました。ここまで来て仕事をもらえなかったらどうしようかと心配していましたが、マッチングが始まる前に声をかけてもらえて一安心です。
 
車に道具を積んで海の近くにある家へ。外からは何事もなかったかのように見えるのですが、床下に泥が数センチ溜まってしまっていました。和室はすでに床がはがされていたので、まずはそこの泥かきから。
 
ヘドロを含んだ泥というのはほんとうに扱いづらかったです。これまでいろいろな土をいじってきましたが、ここまでやっかいなものはありませんでした。それが床下の隅から隅まで覆い尽くしているのですからタチが悪いです。
 
依頼主さんがお昼ごはんのときに味噌汁や煮物などを振る舞ってくれました。とてもおいしく、とてもありがたく、とても申し訳なかったです。
 
食後に台所の周りで作業をしていたら、足下にある引き出しに泥をかぶった跡があることに気づきました。そんな状況で私たちのために料理をしてくれたのだと思ったら、胸に熱いものがこみ上げてきました。終始明るい方でしたが、あれだけの被害を受けているのですから、つらい思いをしていないわけがないでしょう。ほんとうに頭が下がります。
 
フローリングをはがしてその下に溜まった泥をかき出し、庭で固まってしまった泥を削り、15時ごろにはなんとか形にすることができました。依頼主さんはとても喜んでくださり、何度もお礼をいってくださるのですが、むしろお礼をいいたいのはこちらのほうでした。まあ、じっさいにいったのですが。
 
別れ際に思わず「がんばってください」といってしまいました。私などにいわれなくても十分にがんばっているでしょうに。かといって「がんばりましょう」というのも失礼な気がしてはばかられます。「お元気で」くらいが無難なのでしょうか。
 
帰る前にみんなで鳥の海を見ていきました。きのうは行かなかったホテルの近くまで行き、大量に積み上げられている松の木などを見ました。見れば見るほど津波の恐ろしさを思い知らされます。そして、先が見えないことから来る絶望も感じます。でも、阪神大震災の数年後に神戸へ行ったときは、震災があったことなどわからないくらいまで回復していました。鳥の海も、いつか必ず、かつてのように風光明媚な観光地として復活すると信じています。そのときは観光客として遊びに来ようと強く思いました。
 
16時ごろボラセンに戻り、お風呂を頂いてからバイクで再び荒浜へ。きょうも写真をたくさん撮ってしまいました。
 
しかし、夕方の荒浜に一人でいると、世界の終わりに来てしまったかのような錯覚におちいります。
 
 倒れた標識

 
 折れた電柱

 崩れた堤防

 
 崩れた海岸

 
 倒れた防潮林

 
 壊れたバイクなど

 
あらゆるものが崩され、あらゆるものが倒され、あらゆるものが引き裂かれているのが現実です。とはいえ、これでもだいぶきれいになったそうです。震災直後の光景を目にしていたら、まったく違った印象だったのかもしれません。
 
たしかに、あれだけのガレキが散乱していたのかと思うと恐ろしくなってきます。
 
 ほんの一部です

 
19時ごろテントに戻り、夕食後にお酒を一口だけ飲んで21時前には就寝。疲れているはずなのになかなか眠れませんでした。
 
夜中に目が覚めると、静かな街にカッコーの鳴き声だけが響き渡っていました。
 

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