亘理町に帰ってきました。
会場は町役場だと聞いていたので、もしかすると外にテントという状況もあるのではないかと思っていました。
なにしろ、役場はコンテナ群でしたから。
しかし、実際は駅前にある悠里館というお城の和室で対応しました。ボランティアセンターからは距離があるので、昼休みに寄ってみる計画も断念せざるを得ませんでした。けっきょく再会は果たせず。残念です。
一緒に仕事をしていた人が街の様子を見て、「亘理はぜんぜん被害がないんだね」とおっしゃっていました。たしかに街を見るとみなさん何事もなかったかのように生活しています。駅の周辺までは水が来ていないはずなので、壁が崩れているところなどはあるものの、それほどの被害には見えないのかもしれません。
そこで、お昼休みに荒浜まで行ってみることにしました。前に私が来たときから2か月が経ち、こちらもだいぶ片付いたようです。ただ、がれきの山はさらに大きくなっていました。もしかすると2倍くらいになっていたかもしれません。あれだけの量ですから、多少強引に進めないと処分できないのではないでしょうか。
陸運支局と軽自動車協会の人たちが居合わせてくれたこともあり、仕事自体は予想よりも早めに終わりましたので、河北から同行した宮城会の方が帰りに奥松島などを案内してくれました。私が2か月前に迷い込んだところです。
地盤が沈下してしまっているようで、満潮時には水没してしまうそうです。
夕方でしたので、だんだんと水が迫ってきます。
ここは野蒜の駅前でしょうか。
2か月前とあまり変わっていないようです。
取り残された列車もそのままです。
周りはきれいになっていました。
この後、航空自衛隊の基地の近くにも連れていってもらいました。こちらも満潮時には水没してしまうようです。こんなことでは人が住めるようにはなりそうもありません。
自分が生まれ育った土地がそんなことになってしまったら……その悲しみを想像するのは難しいことです。
ありきたりではありますが、自分たちにできることをしていくことが大切なのだと思いました。
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